あけましておめでとうございます。そしていつも応援していただいて、ありがとうございます。
年末、12月20日、午後8時21分、聖隷病院にて3736gの元気な女の子を授かりました。名前は優里亜(ゆりあ)。待望の女の子。うれしくて、うれしくて、お正月の間ながめていたので、穴があきそうなくらいです。
今回の出産は、出産前から胎児の異常が超音波で確認されていたため、どうしても立ち会いたかったのですが、3人目とあって陣痛から分娩まで3時間足らずの出産。しかもその日はタイミング悪く、診察終了間際急患が入り分娩に間に合いませんでした。仕事と家庭のジレンマは世の常です。家庭を顧みず働くことが美徳とされた時代は過去のものといいながらも、そんな風に割り切れる方は多くないでしょう。実際、急患で駆けつけた患者さんをたらいまわしにし、死亡させたケースはヒトの病院でも発生しています。私の患者様をそんな風にさせたくない。しかし・・・。私はいつもこのジレンマに悩んで、苦しんでおります。夜間・休日など、私が診察できない時があってもそこには必ず理由があるので、どうかゆるしてください。出来るだけ対応致しますので、お願い申し上げます。
『ゆりあちゃーん。もうすぐ帰るからねー。』まるでバカおやじですね。アッハッハー。(2005.01記)
こんにちは。インフルエンザの感染報告も続いておりますが、みなさんいかがお過ごしでしょうか?
『長女誕生!!』多くの方にお祝いのお言葉をいただき、感激しております。女の子はかわいいですねぇ。我々を目で追うことを覚え、人らしい喜怒哀楽の表情もつきはじめ、実にかわいい。私自身、おむつ交換や、お風呂に入れることにもじょじょに慣れ、ますます『嫁にはやらんぞ!!』という気持ちが高まります。そして第1回目の全身麻酔による手術を2月25日に控え、我が子の無事と手術の成功を祈る中、不器用ながら一生懸命おっばいを吸い、日々成長する娘をしみじみながめ涙が出てきそうになります。口唇裂という我が子の障害は、これから幾度となく手術が必要で、生涯にわたり彼女に付きまとう障害なのですが、家族の大きな愛、皆様のご協力で彼女はきっと乗り越えていけるものと信じております。皆様にご迷惑おかけしますが2月25日は休診日とさせていただきます。申し訳ございません。
まだまだ寒い日が続きますが、かぜなどひかぬよう気合を入れてがんばってまいりましょう。
(2005.02記)
こんにちは。日に日に寒さが和らぐ季節となりましたが、みなさんいかがお過ごしでしょうか?
2月25日長女の手術も無事終わり、ほっと胸をなでおろしております。手術前後は当然絶食でした。生後2ヶ月の我が子が空腹と痛みで泣いている姿は、妻にとって、心とおっぱい(妻は母乳で育てていました)が、さぞかしはちきれる思いをしたことでしょう。丸二日間ミルクを与えることができず、術後2日目からようやく解禁となり、注射器で少量づつ与えることができました。しかし最初は本人も飲み方がわからず、ますます怒ってしまい、一層お腹が減ってしまう悪循環でした。傷の痛みと、空腹と、オッパイにくっつきたい思いとで入院中は泣いてばかり、妻は一日中抱っこしていたようです(妻よありがとう)。注射器からのミルクの飲み方にも徐々に慣れ、傷の痛みもやわらぎはじめた入院8日目、無事退院することができました。
皆様の励ましの言葉、執刀医の先生、看護婦さんたち、我々家族は感謝の気持ちでいっぱいです。
そして、『優里亜を無事返してくれて、神様、本当にありがとう。』
(2005.03記)
こんにちは。春ですねえ。ぽかぽか陽気に、頭までぽかぽかしないように気を引き締めてまいりましょう。
さて前号で、神様にわが娘の手術の成功をお礼申し上げた矢先、3月18日午後7時半ころ、尊敬する父が労災病院にて永眠いたしました(享年70歳)。突然の脳梗塞で、3月13日の朝、倒れてから5日後のことでした。父の場合、動脈硬化などで徐々に脳の血管が詰まるものと違い、心臓でできた血の塊が血管を流れ、脳の真ん中を走る中脳動脈を詰まらせたため、事前に自覚症状などのない本当に突発的な発病でした。
普段どうりルナちゃんのお散歩をし、ラジオ体操をし、朝食をとり、食後のお茶を楽しんでいる穏やかな日曜日の朝のことです。私もその場にいたため、症状からすぐに脳梗塞とわかり、救急車を呼びました。労災病院に搬送され、緊急手術を受けたのにもかかわらず帰らぬ人になったのでした。
今でも倒れたときの父の驚いた表情が目に浮かびます。まさかこのまま会えぬ人になるとは、われわれ家族も考えだにしませんでした。本人はこれから第2.第3の人生を楽しむところだったでしょう。
いままで苦労かけ通しだったぼんくら息子の私は、なおさら悔やまれて仕方がありません。『オヤジさん。心配ばかりかけてすみませんでした。ユリアの手術の成功を、親以上に喜んでくれていたね。今度は天国でユリアを守ってください。そして、頼りないオレや、われわれ家族が道を過たない様導いて下さい。いままで本当にありがとう。』
(2005.04記)
こんにちは。浜松祭りもすぎ、皆様どのようにゴールデンウィークをお過ごしでしたでしょうか。休み疲れは残っていませんか?お仕事をされていた方も、そうでない方も、今月も張り切ってまいりましょう。
私は、連休中毎日病院におりました。思い起こせば1年365日ほぼ休みはなく、水曜の休診日も病院にきて入院患者さんの治療や、急患の対応を行っております。このしわ寄せは当然、奥さん・子供に波及し、『父ちゃん、せっかくの休み、どっかにつれてってよー。』と、幼い子供にせがまれ、奥様に目で訴えられることが、おとうさんとって一番の苦痛となっております。おそらく世の自営業者は、皆同じ悩みを抱えていることでしょう。私は、少なくとも年1回の家族旅行でサービスしようと思っております。今年は8月のお盆前に計画しているので、皆様ご協力お願いいたします。
オヤジの50日祭(仏教でいう49日)も無事に済み、宮司さんいわく、現在オヤジさまは幽界なるところで我々家族を見守っているようです。そして100日祭、1年祭、5年祭、10年祭と5年ごとのお祭りを経ていくたびにゆらゆらと天に上っていき、30年祭をもって天界で神様の仲間入りをするそうです。30年後私は70歳になります。ちょうどオヤジが亡くなった年齢なのですが、いったいわたしは何をしているでしょうか。皆さんとのお付き合いは続いているのでしょうか。生まれたばかりの幼子の顔を見るたびに、『この子がひとり立ちできるまでは絶対死なんぞー!』と決意を新たにしております。
オヤジさまも、まさか自分がこんなに早く幽界入りをするとは思っておらず、お墓(神道では奥都城:おくつき)も、仏壇(神道では霊舎:みたまや)もありませんでした。市の霊園に申し込み、許可を受けたのが4月の中旬、墓石も作っている最中で、未だにオヤジの遺骨は家にあります。墓石ができたら、次は納骨祭となります。それまでお袋は、オヤジを身近に感じていられるでしょう。
以前お葬式という映画を見たことがありますが(面白いのでぜひどうぞ)、神道のお葬式についてかなり詳しくなりましたので、それにまつわることはボチボチ書いていこうと思っています。(2005.05記)
皆さんが、このレターを読むころには浜松も入梅していることでしょう。1年の中で、最も不快な季節と言っても言い過ぎではありません。学生のころはよくこの時期にカビを育てたものです。一番ひどかったのは、部室においときっぱなしだった柔道着かな。あの、ぬるぬるがたまりませんでした。しかし、こんな不快な梅雨がなければ、夏場の水は確保できません。世の中、このように不快に思われるものにもちゃんと神様が与えてくれた、役割があるものです。特に主婦の方は、この時期洗濯物が乾かなくてイライラするでしょうが、何事もよい風に考えながら梅雨を乗り切りましょう。
梅雨に入ってしまうと困ることに、父のお墓がまだ建っていない状況で、日程どうり工事が進んでくれるか心配になります。今のところ6月22日には建つ予定でいます。詳しくは次号のばおばぶでご報告できるでしょう。
13年前、協力隊でアフリカに丸2年間行っていました。私の赴任していたザンビア共和国は、アフリカの中央部にあたり、周りに海のない環境で、しかも少し標高が高いところに位置しているため、アフリカといえど比較的すごしやすかったことを覚えています。ザンビアには雨季(11月〜4月)があり、暑い上にジメジメとしたところは梅雨にも似た不快感がありました。しかし、乾季(5月〜10月)の半年間、雨が1滴も降らず、ひび割れ、乾ききった大地に、まさしく恵みの雨が降る瞬間を目にしたら、あのおどろおどろしい雨雲が恋しく・愛しく思えるのでした。そしてこの雨季こそが、アフリカの人々が最も大事にする水のはじまりであり、農作業の開始なのです。『旱魃による餓え』という日本では体験することができないことも、体験できました。1991年私がアフリカに赴任した翌年、25年ぶりの大干ばつにアフリカ全体が見舞われ、主食であるトウモロコシができなかったのです。私自身、US エイドのアメリカ産トウモロコシを食べていた記憶があります。なんだかんだ言っても、このように、世界各国の援助があるということはすばらしいことですね。
雨は多くの場合恵みとなると考え、精神的にも肉体的にも、体調をくずさぬよう張り切ってまいりましょう。
(2005.06記)
皆さん、暑くてジメジメしたイヤ〜な日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。
こんな季節、動物は体調を崩しやすく、原因が特定できない嘔吐や下痢、ノミやダニの寄生によるかゆみ、皮膚炎で来院される方が増加しております。衛生管理には特に気をつけ、水は常に新鮮なものを置き、缶詰や調理した食事の食べ残しはすぐに捨てる習慣を心がけましょう。ノミやダニの駆除剤は、フィラリアの予防とともに毎月忘れずに投薬するようにし、皮膚炎にはシャンプーが特に効果的です。また、熱中症は命にかかわる病気です。ワンちゃんは人間より暑さに弱い動物だと再認識し、暑い日は特に気をつけるようにしてください。こうした、病気にならない予防を常に心がけ、この時期をのりきるように致しましょう。
さて我が家のことですが、さる6月29日、ようやく父も奥都城(お墓に)入ることができました。父が3月に亡くなってからあっという間の4ヶ月です。7月には新盆(盆祭・中元祭)もあり、父には家にまた来ていただきます。『これじゃあ、なかなか腰が落ち着かないぞー。』と、父もぼやいていることでしょう。母はようやく外出するようになり、さびしいながらも父がいない生活、日々が過ぎてゆきます。
三方原にある浜松市の霊園は、死んでからじゃないと場所が購入できません。生前にご自分のお墓を建てることは、市の霊園では不可能なので、残されたものにすべてを託すことになります。そこで残されるものからのお願いがあります。家長はぜひ墓石を生前に選んで下さい。(今では亡くなる前に行う、生前葬も行われております。癌などで死期がわかれば、死後に行う葬儀よりよほど意味深いものになるでしょう。)なぜなら、市へ支払うお墓の永代使用料が30万弱で一律なのですが、お墓の値段は中国産のものならば60万くらいから、国産の高級品で400〜500万まで様々なのです。我々家族も墓石選択で意見の相違がありました。家長が逝く前に決めていれば、そのような無駄な争いはないのです。しかし父のように、誰しも自分が明日死ぬと思っていないのが普通でしょう。鈴木家の場合、国産の中程度の墓石(240万也)で決着しました。車なら新車の1800〜2000CCクラスの価格です。10年程度しか乗らない車の価格と比べ、永代使用する墓石のこのお値段、高いと思いますか?安いと思いますか?(2005.07記)
皆さん、暑い8月いかがお過ごしでしょうか。特にワンちゃんは熱中症にならないよう気をつけましょう。
8月8・9・10日は家庭サービスをかね、妻の実家の青森県上北郡天間林村に行ってきました。妻は2年ぶりの里帰り、私は次男が生まれたとき以来なので4年ぶりの青森です。天間林村は長いも、にんにく、畜産の名物以外何もない自然あふれる本当にいいところです。そんなところで独身のかわいい女性にあったら、ほっとけないのが男のサガというものでしょう。妻は寒い雪国から脱出したいだけ?で、青森から遠く離れた浜松に嫁ぎ、鈴木性を名乗ることになったのです。
妻の旧姓は『哘』です。皆さん読めますか?ふつう読めるわけがありません。「口で行こう」と
『さそう』です。青森では4年間牛の獣医をしてましたが、このような固有名詞だけでなく、言葉にはかなり苦労しました。大動物診療は、往診で動物の治療をするしかなく、朝の電話受付から業務が始まります。家畜診療所では5人の獣医師が待機し、この電話受付で往診する農家を割り振るのですが、最初の1年は電話恐怖症でした。農家の人は年配者が多く、方言がきつくて聞き取りができません。しかも哘(さそう)の地区(こちらでいう佐藤町のような地区名になっています。)には、名字が哘さんがほとんどで、下の名前まで聞かないと往診する農家がわからないのです。他の地区でも同様で、鳥谷部(とりやべ)の地区には鳥谷部さんだらけ、市ノ渡(いちのわたり)の地区には市ノ渡さんだらけなのです。下の名前も似通っていますし、何度も聞きなおし仕舞いには農家に怒られ、先輩獣医には往診先が違うと怒られ、自分が往診に行っても『本当にここであってるの?』と行く先々でおっかなびっくりの連続でした。
そんな天間林が懐かしくてしょうがないのは、年を取った証拠なのでしょうか。青森時代の大動物診療物語も、面白いので機会があれば語ってまいります。
それでは皆様、夏ばてしないようがんばってまいりましょう。(2005.08記)
こんにちは。お元気ですか? いつも応援していただいて、ありがとうございます。
前号では青森県で4年間牛の獣医をし、言葉に大変苦労したことを書きましたが、今日は皆さんがあまり知らない牛の獣医についてお話します。今盛んに地球温暖化が騒がれていますが、牛さんが出すゲップ(メタンガス)が、一番の原因になっていること、知ってましたか? 毎日毎日われわれニンゲンを養うために草を食べ、ゲップをして地球をあたためるとタタかれ、牛さんはとにかく大変なんです。
牛さんは、乳牛(おっぱいを出す牛)、繁殖牛(肉牛を産むためのお母さん牛)、肥育牛(お肉になるために太らせられる牛)の3つに分けられます。牛さんが出すお乳を我々は毎日飲んでいるのですが、おっぱいを出すためには当然妊娠・出産しなければなりません。乳牛も繁殖牛も生産性を上げるためには一年に1回出産しなければならないのです。世のお母様方はこれが如何に大変なことか、身にしみておわかりになることでしょう。おっぱいが出ない乳牛、赤ちゃんを産めない繁殖牛は当然のことながらお肉にされてしまいます。肥育牛は我々の口に入るためだけにせっせと食べ続け、それで治りにくい病気になったら即座にお肉です。
牛の獣医さんは、これら牛さんたちが病気にならないために、一年に1産するように、少しでも寿命をまっとうし、長生き?(これが牛さんの希望かどうかはなはだ疑問なのですが)できるようにお手伝いするのですが、最終的には農家のために淘汰することも重要な仕事となるのです。このようなニンゲンの為の動物を産業動物といいます。産業動物の獣医さんは淘汰という仕事も受けもち、神ならざる人として、なかなか精神的にハードなんです。
ウシさん、ブタさん、ニワトリさん、魚も、植物もヒトの食べ物になる動植物への感謝の気持ちは忘れたくありません。生きとし生けるものすべてに感謝し『うまい、まずい』など言わず残さずいただきましょう。それがヒトにできる一番の供養だと現場にいた獣医としては考えます。むかし、お米を茶碗に一粒でも残すと『目がつぶれるにー!!』と注意されたものです。その精神があったために、このような体型になったのは、嘘か真かです。アッハッハー!!
牛の獣医さんについて、難産そして出産の喜びは次号でもお話いたします。残暑が続きますが、体調を崩されぬようがんばってまいりましょう。(2005.09記)
こんにちは。お元気ですか? いつも応援していただいて、ありがとうございます。紅葉の季節がやってまいりますが、皆様はどんな秋を楽しみますか?
さて上の写真は黒毛和牛の放牧地の写真。右の写真は品評会の写真です。(いづれも、私の青森時代の先輩獣医さんが今回送ってくれたものです。中城先生ありがとうございました。)広大な八甲田山をバックにのんびり牛が草を食む姿は、まさしく皆さんが牛を連想させる風景でしょう。この風景や環境は牛さんを健康に成長させるばかりではなく、人間をも長生きさせそうな予感をさせます。(青森の空気や水・米にお酒は確かにうまかったー。)
しかし実際は、牛さんは一年に1回出産しなければならず、費用のかかる病気になると、用済みの烙印を押され淘汰される過酷な生き方なのです。
またヒトの平均寿命は、こんなに空気のうまい青森県より静岡県が勝っているのが不思議ですね。
牛さんを妊娠させる方法は、人工授精・受精卵移植・まき牛の3つがあります。このような放牧地では放牧地の管理人さんが発情を発見し、我々が放牧地に出かけ人工授精するのが一般的です。
その時登場するのが、黄金の左手。
肩まであるビニールの手袋を使い、おもむろに直腸に肩まで手を突っ込む→牛さんびっくり→なだめすかし左手もぞもぞ→子宮の収縮OK→卵胞OK→よーし、ばっちり発情!!
右手で金属製のストローのような道具をあやつり、凍結保存してあった精液を注入。こんな手順で人工授精をします。
左手の指先の感覚だけで子宮や、卵巣の状態を把握するのですから、これこそ経験がものをいう技術です。最初は触りすぎて牛さんのおしりから下血させていました。4年間でようやく、牛さんにも農家にも迷惑かけない程度まで技術を習得できました。農家の皆さん、牛さんあの時は痛い思いをさせてごめんなさい。
受精卵移植も手順はほぼ同じですが、まだまだ普及段階の手法です。
まき牛とは、放牧地にオスの種牛を放ち自然交配をさせます。これは何度人工授精を行っても妊娠しない牛の最終手段でした。種牛さんは最後には疲れ果て、フラフラです。仕事とはいえ本当に大変そうでした。続きは次号で。(2005.10記)
日に日に寒さがつのってまいりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。インフルエンザはとても怖い病気です。盛んに騒がれている鳥インフルエンザは、最初は鳥だけかかる病気だったのに、鳥からヒトに感染する能力を持ち、今ではヒトからヒトに感染する能力すらもち始めているのです。ウイルス自身が生き残ろうと進化しているのです。そして現代の移動の速さは、今日アジアのどこかで発生したインフルエンザが、数時間後には日本に上陸し蔓延してもおかしくないのです。そのうえ渡り鳥には検疫がないのですから、想像すると恐ろしくなります。そこで必要なのが、日頃からの健康づくりで、免疫能力を高め、隣に鳥インフルエンザがいても追い払うことができる体力です。私のような仕事をしているとなかなか無理なのですが、日頃から規則正しい生活に心がけたいものです。不摂生をやめ、バランスよい食事を取り、適度な運動をしてよく寝る。一番必要なことはストレスをためないことでしょうが、一番解消するに難しいかもしれませんねぇ。現代人は道を歩いているだけで、汚い空気、騒音、車などでストレスを受けてしまいます。せめて気持ちだけでもくよくよせず、気を大きく、ストレスを溜め込まないようにしましょう。
私は以前青森県で牛の獣医をしていたのですが、この時のストレスは、今と比べるとはるかに楽なものでした。休みになると釣りに出かけたり、バイクにテントをつんで目的もなく旅をしたり、八甲田の温泉につかり、うまい空気とお酒とお米を堪能し、気楽な独身生活でストレスを発散させていたのです。仕事も車で各農家を回り治療するため、自然あふれる青森の四季を感じながら毎日ドライブです。しかし真冬の吹雪の運転は、対向車すらわからないこともしばしばあるため、一番緊張します。真冬、凍った路面、吹雪のスペシャルな夜に突然ベルの音。こんな夜は農家もよほどのことがない限り電話などかけてきません。(日頃のんきな私でも、このときばかりは心拍数が倍増します。)案の定、難産で牛が苦しんでいるとの往診依頼があり、スケートができるような夜道を、前もよく見えないまま、奇跡的に農家にたどり着きました。牛さんの産道に手をいれると、あろうことか破水しているのに胎児に触ることができません。果たして彼女に何が起こっていたのか…。続きは次号で。(2005.11記)
本年も残り少なくなりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
皆さんの平成十七年はいかがでしたか?私は昨年末、待望の娘が誕生し喜びの絶頂であったものが、本年3月には突然の父の死を迎え、心沈む平成十七年でした。平成十七年いいことがあったヒトも、ツキがなく何事もうまくいかなかったヒトも『終わりよければすべてよし!!』です。年末は何かとバタバタし、体調を崩しがちになりますが、〆の月です。張り切ってまいりましょう。
さて以前青森県で牛の獣医をし、真冬・凍った路面・吹雪のスペシャルな夜、農家に往診をたのまれたお話の続きです。難産で牛が苦しんでいるとの往診依頼があり、牛さんの産道に手をいれると、あろうことか破水しているのに胎児に触ることができません。これは『子宮捻転』です。おかあさん牛の子宮が、おなかのなかで捻じれてしまい、産道が雑巾を絞ったように狭くなる難産で、このままでは母子ともに危ない!! 捻じれた子宮を元に戻せば、産道が広がり胎児が出てくるはずです。牛さんを足を上にして腰が浮くようにぶら下げたり、牛さんを回転させたり、膣から胎児をつかみ子宮ごと回転させたり、手術で捻じれを直したり・・・。しかし体重が500KGちかくもある牛さんなので、言うほど簡単には治りません。技術もさることながら、体力勝負です。この牛さんはまだ歩くことができたので、牛さんを回転させるため、吹きすさぶ雪の中、外に連れ出しました。牛さんを横倒しにし、足を狸縛りにして動けないようにすると、お母さん牛を1回転、2回転、3回転半。ようやく捻じれが治った時には、ヒトも牛も雪まみれで、気温は零下にもかかわらず汗が湯気を立てています。産道が広がり、牛さんもここぞとばかり最後の力を振り絞りいきみます。我々も牛さんの陣痛にあわせ胎仔を引っ張ります。「もう少し。あとちょっと。がんばれー。うまれたー!」このような感動の出産は、いつ味わってもいいものです。時には、牛さんのうんちにまみれ、血まみれ、汗だくになるときもあるのですが、産まれた元気な『こっこ(牛の子供)』と、「先生、ありがとー。」この一言と農家の笑顔が疲れを忘れさせます。すべての苦労が吹っ飛ぶ瞬間です。(2005.12記)